【映画】チャイルド・イン・タイム 夫と外出中に子供が失踪。夫婦それぞれの心情と未来は?
THE CHILD IN TIME(チィルド・イン・タイム)
ベネディクト・カンバーバッチが制作総指揮を務めたヒューマンドラマ。
原作は『つぐない』『追想』などのイアン・マキューアンの小説『時間のなかの子供』を映像化したテレビ映画です。
ベネディクト様が主演なのね、期待ー
なお、こちらの番組は現在のところスターチャンネル独占(BS10)放送。
下記サイトで表示される時間に放送されています。
作品情報
制作年度 2017年
上映時間 95分
監督 ジュリアン・フェリノ
イントロダクション
児童作家のスティーブは買い物先のスーパーで4歳の娘ケイトを見失い、ケイトはそのまま失踪してしまう。
失意のなか3年が経過したがケイトの行方はわからないままだ。
スティーブは妻のジュリーと別居生活を送りながらケイトを探し、執筆と児童教育委員会に出席する日々を過ごすのだった。
キャスト
・スティーブ 児童作家(ベネディクト・カンバーバッチ)
・ジュリー スティーブの妻・ピアノ教師(ケリー・マクドナルド)
・チャールズ スティーブの友人、政府関係者(スティーヴン・キャンベル・ムーア)
・セルマ チャールズの妻(サスキア・リーブス)
・スティーブが参加する児童教育委員会のメンバーの女性(アンナ・マデリー)
【予告映像】STAR CHANNEL MOVIES 『チャイルド・イン・タイム』
スティーブの苦しみ
この話は行方不明の娘を探す話ではなく、夫婦が再生し立ち直っていくまでが描かれています。
警察の車に乗ったスティーブが、娘が失踪したスーパーの横を通り過ぎるところから物語は始まります。
自宅に戻ったスティーブは、何も知らない妻のジュリーに娘の失踪を打ち明けなければならず、娘の失踪を知ったジュリーは取り乱し、スティーブは自分の犯した不注意にただ嘆きます。
スティーブだって言葉で表現できないほどの後悔と苦しみを抱えているはずです。
さっきまで仲良く買い物を楽しんでいた幼い娘がレジの人とほんの少し言葉を交わした隙に姿が消えてしまったのだから。
しかし動転したジュリーはスティーブに辛くあたり、スティーブは自分を責めてアルコールに逃げるようになります。
ジュリーの気持ちも無理はなく仕方ないと思います。
この類の話は誰が悪いわけではないから苦しみが深い。
またスティーブが著名な児童作家であったため、ケイトの失踪がニュースで大きく取り上げらてしまい、スティーブ夫妻はSNSで心ない非難を浴びることに。
過酷な日々を過ごしたことがわかってきます。
スティーブが部屋を空けるとき、わざわざメモを貼ることで「留守を知らせているようなもの」と近所の人に指摘されるのですが、娘の情報が入るかもしれないと藁にすがるように情報を求める父親の心情が垣間見れます。
そしてこのことから、夫婦が別居しているらしいことがわかってくるのです。
子供が失踪したのはスティーブのせいではないけれど、注意不足はあったかもしれない。
そのあたりの判断は微妙ですが、顔を合わせると辛くなる心情はあまりにもよくわかるので、このまま違う人生を歩んだとしてもおかしくないように思えます。
ただそうなると子供が無事だったときどうするかという問題と、夫婦は嫌いになったわけではなさそうなので、複雑な状況になっていることを伺い知ることができるのです。
そして何よりスティーブの心が3年前で止まってしまっていることが切ない。
スティーブは新しい小説のテーマに「魚になった少年」を選び、浴室で息を何秒止められるかを試し続けるのですが、物語を綴ることで現実と立ち向かうようでもあり、逃げようとしている。
娘ケイトのいない苦しみから逃げようとしているための現実逃避的な行為のように私には思えました。
友人チャールズの奇行と死の理由と時代設定
チャールズは、スティーブが辛いときに支えてくれた友人で、政府の関係者、首相の側近に就いている人です。
これまでスティーブと親しくしてきて、すべてを知っている友人でしたが、多忙な生活に疲れたことを理由に、仕事を辞めて妻と一緒に田舎への転居を決めてしまいます。
実は精神を病んでいるチャールズは政府からマークされていて、スティーブも首相本人からチャールズと会って様子を探ってほしいと頼まれてしまうのです。
スティーブは政府にチャールズの詳細について話すつもりはありませんでしたが、スティーブがどうであろうとチャールズは既に行動を政府から尾行されていました。
時代設定は現代なのか、それとも近未来をイメージしているのかは不明ですが、イギリスの管理政治が横行している想定で描かれていることがわかります。
結局、チャールズは自ら命を絶ってしまい、それをスティーブが発見します。
スタントウ・ロウ 母も以前に訪れた場所
別居しているジュリーが暮らしす「スタントウ・ロウ」という美しい田舎町は、かつてスティーブの母がスティーブを身ごもったときに訪れたことがあったことがわかります。
スティーブはその町にある「THE BELL」というバーで若き日の母を見つけます。
またジュリーも自宅の窓からやがて自分が産むことになる男の子の姿を見るのです。
再生で完結する
スティーブが参加している定期的に開催されていた児童委員会。
「検定教育本」をつくるための教育者や有意指揮者たちの議論の場で、そこでスティーブは教育委員会の女性と知り合います。
そして彼女から、集まりは実はまったく無駄なもので、政府は「検定教育本」をすべて作ってしまっていたことを知らされるのです。
ショックを受けてもおかしくはないのに、スティーブはいつか世の中だって変わるはず、だから続けようと冷静に考えます。
長い旅行に出かけていたジュリーから病院にいると連絡があり、スティーブがとんでいくと、ジュリーは出産の真っ最中でドラマは終わります。
感想
娘のケイト探しをスティーブとジュリーは諦めますが、生きていると信じる気持ちだけは手放さないことを誓います。
どこかで生きていて、きっとまた会えると強く信じているところが救いではあります。
この作品の大きな流れはーー
子供の失踪
夫婦関係の破綻と再生
管理される息苦しい社会、それに苦しみ死を選ぶ友人
親子の愛情(夫婦の愛情)
となかなか複雑です。
それが描ききれているかといえば、正直なところかなり疑問でした。
この作品を読み解くためには、結構一生懸命繰り返し観る必要があり、たぶんこうであろうと想像したのですが、それらが直球で伝わらないのは残念でした。
おそらく時間に制限があって描ききれない部分があったのだと思われ、いろいろわかりにくい点は、原作を読めば見えてくる部分があるのではないでしょうか。
細かい疑問点はいくつかあったのですが、スティーブとジュリーの別居夫婦も不思議に思えました。
たとえば、別居中夫婦が会うのは自由なのだし、別に泊めてもいい気がするのですけれど。
なので流れからして離婚した「元夫婦」と勘違いしました。
抱き合いはするのに泊めることはできないというジュリーの線引きが私には謎でよくわからない。
ジュリーは何故スティーブを自宅に招いたのか、スティーブは何故ジュリーの元を訪ねたのか。
行動が理解できなかったり、唐突にジュリーがスティーブの前に現れたりと首を傾げるシーンがありました。
ラストがいきなりジュリーの出産シーンというのも正直驚きでした。
色々と視聴者に委ねられている部分が多いというのか感想です。
ただ今まで普通に存在していた家族(特に子供)が忽然と姿を消してしまうことは耐え難いことです。
そのことを想像しただけで相当な苦しみではあるので、この作品を今一つ理解できなかったと簡単に言い切れない気持ちになります。
幼児失踪という絶望的に重いテーマを描いた作品は多く、幼児ではありませんが失踪を描いた作品では『ラブリーボーン』が思い浮かびました。
『ラブリーボーン』もアリス・シーボルト原作の小説の映画化です。
いつか感想を書いてみたいですが、もう一度観る勇気が今はありません。
『ラブリーボーン』も観ていて辛くなる映画。
だけど勇気がないなんてヘタレねえー
愛をテーマにした映画のレビューはこちら。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
それではまた。
のじれいか でした。
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