【映画】I am Sam アイ・アム・サム ルーシーは誰の子かって?
食わず嫌いで観ない映画ってありませんか?
私にとって『アイ・アム・サム』は長年そのカテゴリに入っていた映画でした。
映画は楽しく観ましょうね。
知的障がいの男と、幼い娘の物語。
……お涙頂戴劇場になることは必至だし、展開も読めてしまう。
そんな気がして遠ざかっていた作品でした。
作品情報・キャスト
公開年度 2001年
上映時間 133分
監督 ジェシー・ネルソン
キャスト
サム/ショーン・ペン
リタ(敏腕弁護士)/ミッシェル・ファイファー
ルーシー(サムの娘)/ダコタ・ファニング
ランディ(ルーシーの里親)ローラ・ダーン
あらすじ
スタバで働く知的障がい者のサムは7歳の娘ルーシーと暮らしている。
ルーシーの母はルーシーを産んで姿を消してしまったが、近所の住民や友人たちに囲まれ二人は幸せだった。
だが成長したルーシーはサムの障がいに気づくようになる。そんなときある行き違いでサムが逮捕され、ルーシーを養育する能力がないと判断されルーシーは施設へと。ルーシーを取り戻したいサムは、敏腕弁護士のリタに弁護を依頼。お金もないサムの弁護を断ろうとするリタなのだが……。
感じたこと
まずは、重い腰を上げて観ておいてよかったです。
粘度の高い親子愛を描いた作品を想像しましたが、イメージしたよりライトな仕上がりの映画です。
お涙頂戴的な感情を抱く人の気持ちも理解できますが、私は少し違う印象を持ちました。
サムは愛する権利を持たないのだろうか。
そのことを考えていました。
愛を与えるとき、すべて揃っていなければ愛してはいけないし、愛される方も愛する権利を持つ相手でなければ与えさせてはいけないのが正論であれば、愛される側は一方的な受け身でいるしかないように思えます。
もちろん養育の責任を、知的障がいを持つ人間に果たせるかという問題は、現実としては深刻です。なので子供を育てるためには、頭脳と経済力が求められることを否定するつもりはありません。
でもシンプルに考えると一緒に生きて行くことを愛のみで決めることは正論に思えるし、できないことがあるのなら他人が手を貸せば(貸してくれる人がいるわけだし)どうにかなる気がするというのが素直な感想です。
なぜなら、ルーシーはペットではなく人間で、やがて成長するからです。
途中、ルーシーは施設から出て、里親ランディの元で暮らすことになります。
ランディはルーシーの幸せは自分たちと暮らすことだと譲らない。
そんなランディにルーシーは心を閉ざし、サムは一時期対立します。
でもラスト近くで、サムはランディに自分だけではルーシーを育てられないと素直な気持ちを吐露します。
サムの素直な告白を聞いたランディは「ありがとう」とサムに言うのです。
ルーシーを引き取ることがルーシーの幸せだと頑なに思い込んでいたランディ柔らかくなった心の成長を垣間見ることができるシーンでした。
それとこれは個人的な思い込みに過ぎないのですが、ランディ役を演じるローラ・ダーンはどうも普通の人ではない役が多い気がして(つまり普通じゃない映画、いやたぶんデビッド・リンチの影響が大きいだけ)身構えていたのですが、意外と普通に常識的な大人の役で安心しました。
最初はサムと関わることを嫌がった弁護士のリタも「私の方があなたに救われた」と涙を流します。
リタとランディという世間の外に存在する2人は、最初は戸惑い、たまに不愉快になったりしながら、サムとルーシーの魅力に引き込まれます。
リタは子供を持つ母親としての気持ちや、夫と離婚寸前であること、そうなった経緯などをサムに打ち明けるようになっていきます。
ランディも里親として、ルーシーをとても大切に思っているし、そこには一切の打算も感じられません。少なくとも自分が年を取ったらこの子に私の面倒を……みたいな損得勘定は存在しない。
ただ純粋に次世代への子供を守ろうとする人間愛だけで行動している。
ここで気になったのは、日本と欧米の家族の考え方の違いです。
たとえ一緒に暮らせなくても、里親の縁があったのだから、ルーシーの成長はこれからも見つめ続けようと思えるのはやはり欧米的な視線ですよね。
こういう作品を観ていると、養子に対する意識が日本は欧米より遥かに遅れていることを実感させられます。(むろん自分も含めて)
それとルーシーはサムが父親だから一緒に暮らしたいのではなく、一緒にいて心安らぎ、楽しいから。
だからルーシーは成長して7歳になって、サムの行動に時おり苛立つことがあっても、結局は彼との生活を選び取った。
サムという不器用だけれど楽しい人間に惹かれたからで、確かにそれだけでは生きてはいけないし、障がいはあるのでしょうが、魅力ある人間はそれ以上に価値があるのかもしれません。
私はこの作品に近い状況を経験したことはないし、たぶんこの先どちらの立場も経験することもないでしょう。
だからこそ、映画は人生を教えてくれるものだとつくづく思います。
サムを演じたショーンペンは、ある意味少年の心を持っているからか、演技はすごく巧いです。
それにミッシエル・ファイファー、ダコタ・ファニング、ローラ・ダーンと、女優陣は超豪華です。
全編を通してビートルズの曲が流れ、少女の名前「ルーシー」は『ルーシー・インザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』(Lucy in the Sky with Diamonds)から名付けているなど、エピソードにもビートルズがじゃんじゃん出てきますが、残念なのは曲がすべてオリジナルじゃないところ。
ビートルズは使用料がすごく高いらしいので、おそらく予算で折り合いがつかなかったのではないでしょうか。
以前『青春の殺人者』の長谷川和彦監督もインタビューで語っていました。
作品の中でビートルズを使いたかったが、映画が一本撮れるほど高額で断念し、その後色々あってゴダイゴに決まったそうです。
ビートルズの曲を流している映画も多いので、それは高額の製作費をかけたか、他を節約したかのかも。
そういうことを考えながら映画を観るのも、また別の意味で楽しそうです。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
のじれいか でした。