【映画】イージー・ライダー 理不尽の極み!アメリカン・ニューシネマに涙
イージー・ライダーといえば、名前くらいは聞いたことがある伝説の映画。
Born to be wild〜
ざっくり言えばこんな話
1960年代、枠にはまらずに生きたいと願う2人の男が、大金を手に入れて自由な旅を楽しむつもりが、行く先々で散々な目に遭う話。
作品情報
作品情報・キャスト
公開年度 1970年
上映時間 94分
監督 デニス・ホッパー
キャスト ピーター・フォンダ、 デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン
簡単なあらすじ
コカインの密輸で大金を手に入れたワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)はニューオリンズで開かれる謝肉祭に行くため、カスタムされたハーレーダビッドソンに乗って旅に出る。
自然を楽しむ気ままな旅をするつもりが行く先々で嫌な思いをしたり、見た目がヒッピーだからとホテルの宿泊を拒否されたり、冷たい視線を浴びせられる。
弁護士のジョージ(ジャック・ニコルソン)との出会いもありながら旅は続くが、そのうち二人はあらゆる厄介な不幸に見舞われることになって……。
感想・レビュー
好き嫌いが別れる作品だと思います。
ストーリーを追う映画が好きな人は、もしかすると退屈に感じるかもしれません。
1960年代から70年代にかけてのアメリカをはじめとする欧米文化は、映画やファッション、カルチャーとして憧れの存在ですが、実際は閉塞感と生きづらさを感じる人の多い時代だったのだろうなとこういう作品を観ると考えさせられます。
鬱積されたエネルギーが、素晴らしい芸術という形で排出されていったのでしょうね。
ワイアットとビリーはバイクで旅をしながら、ヒッチハイクの男を乗せたり自給自足生活をしているコミューンの住民たちと出会ったりするうち、アメリカの現実を深く知っていくことになります。
ルールを死守するためなら殺人もやむおえない
旅の途中、同じ留置所に入れられたときに知り合った弁護士のジョージ(ジャック・ニコルソン)と意気投合して、3人で語り合い楽しく野宿をしていたところを突然暴漢が襲いジョージは命を落とします。
それなのに特に事件にならない雰囲気であることに唖然とさせられました。
法律的にいけない行為としても、価値観を死守するためなら、ある程度許されることがある。そこに殺人まで含まれていると暗黙のうちに言われている気がして正直ぞっとしました。
ワイアットとビリーはジョージが話していた娼婦の館に行き、娼婦と一緒に謝肉祭に向かいますが、もう2人は心から楽しむことができません。
フロリダに向かおうとハーレーを走らせるワイアットとビリー。
どこまでも続く道を走っているとトラックが近づいてきます。
トラックに乗る田舎の頭の堅そうな中年男たちが「髪を切れ」とビリーに近づき声をかけますが、ビリーは黙って中指を立てる。
男たちはビリーに向かってあまり躊躇う様子もなくライフルを発砲するのです。
アメリカの闇と不条理
主人公の2人はドラッグの売人で仕事で泡銭を儲けた男たちだから、善人ではありません。
けれども他人を攻撃するわけではないし、髪が長いとかヒッピースタイルの姿形をしているだけで、自由を求めているだけの案外思慮深い人たちです。
それなのにバイクに乗っていることと見た目がヒッピーというだけの浅はかな嫌悪で周囲は2人を糾弾しようとします。
不条理。
これしかありません。
なんて理不尽なのだろう。
少なくてもそこにいる人に何ら迷惑はかけていないのに。
2人はただ正直で自由に生きたかっただけ。
それなのに、そんな感情を許さない、許容範囲の狭い人々から2人は襲われます。
1960年代後半のアメリカは公民権運動が勃発、黒人開放運動が続くなかキング牧師が暗殺された頃であり、またベトナム戦争の真っ最中でもありました。
「自由の国アメリカ」というアメリカ国民の多くが抱く自由はワイアットとビリーの信じる自由とは違っており、彼らの持つ自由の範疇からは、2人の自由は自堕落でだらしなく現実逃避をしている若者にしか見えなかったのでしょう。
でも彼らは、コミューンで暮らすヒッピーたちと考えが合っていたわけでもなく、居心地の悪さを感じていて、何者かに縛られる暮らしから逃げようとしていました。
それに自分たちの自由を受け入れろと強要するわけでもなく、ただ感じたままに生きよたかっただけなのに。
自分と異なる異分子への苦手意識は誰もが持つもので、生理的な感情なのでしょう。
だけど地方に暮らしながら保守的な思想を維持することが自由と信じて疑わない彼らにとって、自分たちの価値観を受け入れない相手は、攻撃対象であって、殺害にも値する。
その極端すぎてあまりにも身勝手な価値観に強い怒りを覚えました。
ドラッグの取引を終えて大金を手にしハーレーダビッドソンに跨がるワイアットは、背中に巨大な星条旗が入った革ジャンを纏っている。
彼が望むのはただ一つ。
「アメリカが大好き」で「自由」を楽しみたいだけ。
だから彼らは拒絶されても怒らず、自ら暴力を奮うことはしませんでした。
そんな彼らがただ、受け入れ難いという理由だけで殺されてしまうのがやるせない。
受け入れること
受け入れるという言葉を調べると、聞き入れ、取り入れることを意味していることがわかります。
人間の根本には容認され受け入れられることを望む欲求があると思います。
ワイアットとビリーは話が通じる人で、会話ができる人とは親しくしたし、行動を共にもしました。
だから受け入れられなくても仕方ないという姿勢でいたけれど、本音では自分たちにもう少しやさしくしてくれてもいいのにと思っていたに違いない。
でもそれは望めないし、拒否する自由もあることがわかっているから口にはしないのです。
周囲から拒絶されても星条旗をまとい続けたワイアットが悲しい。
さすがデニス・ホッパーです。
今更ながら尊敬の念が深まりました。
音楽について
主題歌の『ワイルドで行こう』(Born to be wild)は、カナダのバンド、ステッペンウルフの曲。
アメリカのバントだと思っていたのですがカナダだったんですね。
ほかにもスミス『ザ・ウェイト』、ジミ・ヘンドリックス『イフ・シックス・ワズ・ナイン』といった名曲が、ストーリーとは反してハーレーダビッドソンから感じる風のように爽やかに流れるのが儚くて切ない。
まったくの余談ですが、私の大学の同級生アキラくん(仮名)がカラオケボックスで必ずといっていいほどこの曲(Born to be wild)を選曲していたことを思い出しました。
そういうときのアキラくんは大抵酩酊しているので、サビの「Born to be wild〜」だけはマイクを握って気持ちよさそうに歌っていましたが、それ以外は歌詞についてゆけず、みんなにとってBGMタイムでした。
アキラくんは確かアメリカには行ったことはなかったように記憶しています。
この曲を聴くとアキラくんのことを思い出しますが、今彼がどうしているのかはわかりません。
アメリカン・ニューシネマ
アメリカンニューシネマとは、ベトナム戦争の頃、1960年から1970年代のアメリカの反体制を描いた映画のこと。
『イージー・ライダー』はその代表作と言われています。
ほかにも『卒業』『俺たちに明日はない』などが有名ですが、ロードムービー縛りということもあってか『俺たちに明日はない』とは比較されることが多いみたいですね。
どちらも名作ですが、私は『イージー・ライダー』の方がアメリカの闇の深さを描いていると感じました。
『タクシードライバー 』に続いて『イージー・ライダー』は、1970年代のアメリカを代表する作品に入ると思いますし、個人的にはこういう映画に感銘できる自分でいられてよかったなーとつくづく思ったりするのでした。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
それではまた。
のじれいか でした。
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