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【映画】ジョニーは戦場へ行った あらすじ・感想 トラウマでも一度観るといい映画

ジョニーは戦場へ行った

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作品情報・キャスト

公開年度 1973年
上映時間 112分
監督・原作・脚本 ダルトン・トランボ
キャスト ティモシー・ボトムズ、キャシー・フィールズ、ドナルド・サザーランド

ダルトン・トランボが原作から脚本、監督までを担当した衝撃作。

ダルトン・トランボはこの作品を1939年(昭和14年)に発表するが、第二次世界大戦勃発中であったため、絶版にされてしまう。

イントロダクション

第一次大戦の戦線で、一介のアメリカ兵ジョーは爆撃に遭い、手足を切断され、目、鼻、口など機能の全てを失った。身元不明の兵士に意識はないと判断する軍医は、ジョーを研究材料にするため敢えて生かすことにする。 

混濁する意識のなかで

あり得ないのですが、ジョーは外に向かって表現する術を何も持たないだけで脳は健全に動いていました。
そして何が起こってどうなったのかを把握できないまま、ジョーは意識の中で恋人のカリーンを呼び続けています。


出征前夜、志願兵になったジョーをカリーンは引き止めます。
「どうか彼を死なせないで」と
祈るカリーンを残してジョーは戦地へと向かう汽車に乗ってしまったことを思い出すのです。

そして悔やんでも悔みきれない別れの瞬間をジョーは脳内で噛み締めます。

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看護師の手が現実

この状況を受け入れられる人は誰もいないと思いますが、ジョーはやがて現実を悟り絶叫します。
彼女はジョーの姿に涙して胸に唇を寄せてくる看護婦の存在だけが唯一の現実でした。

クリスマスの夜、看護婦はジョーの胸を開くと一文字一文字丁寧に「MERRY CHRISTMAS」 と綴ってくれる。
彼女のメッセージが理解できるジョーは、本当に久しぶりに他者と交流できたことを歓喜するのですが、そのメッセージにジョーは答えることができません。

すると脳内のジョーの亡き父が電信を打てばいい。
どう伝えるかは頭を使えとアドバイスをするのです。

こういう脳内の働きが興味深い。
エターナル・サンシャイン』は恋人を忘れるために記憶除去をする話ですが、脳に蓄積されている記憶の中で、恋人が出てきてあれこれ発言します。
人は自分以外の存在を思うとき、大概は過去の記憶から相手を導き出していることが描かれていました。
その当たり前のことかもしれませんが、改めて映像で見ると、不思議な思いがします。

ここでもジョーは過去に関係のあったあらゆる人を脳内に導き出し、あるときは過去をあるときは現実を語りかけてくるのです。

そして、父の教えからジョーは頭を振ってモールス信号を送ることを思いつきます。
「S.O.S」
集まった軍医たちは、意識のない肉の塊と信じていた兵士に意識があることに驚き困惑します。

話の背景にあるもの

父親との関係

工場に勤めるジョーは連絡を受けて急いで自宅に帰りますが、父は既に亡くなっていました。
ジョーの父は、自分は給料も安く、家も小さい、何もかも小さくて誇れるものはないと幼いジョーに言いますが、釣竿だけは立派で息子より誇りに感じていると続けるのです。
そして民主主義のためなら息子を差し出すとも言うのです。

自分の存在は釣竿以下だと密かにジョーは悩んでいる。

その後成長したジョーは父の釣竿を失くしてしまいますが、それを知った父は「たかが釣竿だ」と言います。
でもそれはおそらくジョーの願望で、惨めな姿になった自分を父親の姿を借りて慰めようとしたのだと思います。
もしくは戦争に行く息子を哀れんで、本当にそういう発言をしたのかもしれない。
いずれにしてもおそらく本心からではなく、世間に対する息子への謙遜のような感情から出た言葉なのでしょうけれど、息子のジョーはそれで傷ついたことは容易に想像できることです。

キリストと呼ばれる男 

戦地の休憩時間にトランプをするジョーの傍に存在するキリストと呼ばれる男(ドナルド・サザーランド)が寄り添います。

キリストと呼ばれる男は、ジョーが作り出した存在で、ジョーはキリストと呼ばれる男に救いを見出そうとします。

 

こういう宗教観は日本人にはわからないことも多いのですが、何か絶対的な存在にすがりたい心と、一方でそんなことは叶わないことがわかっているからこそ、本当の神ではなく、キリストと呼ばれる男として登場させている。
その切ないまでの心情が伝わります。

 

ジョーはキリストと呼ばれる男に「救いを得たい」と訴えますが、ジョーの状況を知った男は「奇跡が必要」「私は非現実の存在だ」と匙を投げられてしまいます。

ジョーは自分で作り上げた神からも見捨てられてしまいました。
そこにジョーの宗教観と絶望の深さが描かれています。

柔らかい手の看護婦

ジョーの現実の中で唯一、存在を認められる相手。
しかしジョーは彼女の手に触れられることで、あらゆる妄想に悩まされるようにもなるのです。
現実のジョーにとって唯一の存在。

クリスマスの夜「MERRY CHRISTMAS」と指で綴り、「殺してくれ」というメッセージにただひとり応えようした人でした。

✳︎ちなみに現在の呼び方は看護師が正しいのでしょうけれど、昔のものでもあって訳が看護婦となっているので敢えて作品のままにしました。

恋人カリーン

最愛の恋人カリーンはジョーの脳内でも登場します。
カリーンは「私はもう結婚して、変わってしまった」とジョーに告げます。
実際のカリーンがその後どうなったのかはわかりません。
でもジョーが想像するように、いつまでも戻らないジョーを諦めて結婚したと考えるのが普通なのでしょう。

ジョーは脳内で「ここにいればきみは永遠に美しいままだ」と妄想のカリーンを抱きしめます。

しかしそこにカリーンの父親が登場し「娘を妊娠させた」と怒り声を上げるのです。
出征前夜結ばれた二人でしたが、その後の彼女の人生に関われない不安とやるせなさが肉の塊になってしまったジョーの脳裏を駆け巡っていることが伝わりました。

昔見た印象が衝撃すぎた

子供の頃チラ見してしまい、恐怖で眠れなくなりました。
ただただ「恐怖」それしかありませんでした。
手足を失う怖さ、外界と意思疎通がとれない絶望、叫べない閉塞。

今でもパソコンの前に座り、まともに考えてしまうと固まってしまいそうなので、必死に意識を外へ向けているのですが。

原作者であり監督のダルトン・トランボ共産党員で、1940年ごろから50年ごろにかけてアメリカ政府が国内の共産党員とそのシンバを公職から追放させた赤狩りのなかで主要人物の10名「ハリウッド・テン」の一人でした。

そのためトランボが手掛けた『ローマの休日』の脚本は、友人の脚本家イアン・マクレラン・ハンターの名で世に出されました。

言葉を発せない不自由さと重圧感をダルトン・トランボは名も無い一人の兵士の絶望に置き換え、病室のシーンをモノクロに、ジョーの脳内をカラーにすることで敢えてリアリティを取り去る映像で表現して想像力を煽ったのではないだろうか、年月を経てあたらめてこの映画を観たとき、私自身の受け止め方も少し違っていました。


反戦を扱った作品は数多く発表されていますが、本作は兵士の犠牲を描くことで戦地からの反戦を訴えるというより、表現する人間からの反戦メッセージであることが強烈に伝わります。


表現者として活動できない絶望をトランボは訴えようとした。
自由を許さない世の中が存在したことで、こんなにも恐ろしい作品が誕生したのです。

ダルトン・トランボについては『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(2016)で語られています。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
のじれいか でした。 

 


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