【映画】メランコリア 【あらすじ、感想など】世の中の終焉は私の終焉、そして無
『メランコリア』★★★★★ 素晴らしい!
メランコリア・一言で言えばこんな話
地球にメランコリアが迫っているのを知りながら、平静を装うことに懸命な人々の話。
テーマ 「Nothing 無」
ログライン 「地球最期の日を迎えた人間たちの理性ある動揺と絶望」
正直好き嫌いが別れる話だと思います。自分の内面に潜んでいるものを表現してくれる映画が観たいときにおすすめしたい映画です。
作品情報
公開年度 2011年
上映時間 135分
監督 ラース・ファン・トリアー
おもなキャスト
ジャスティン(新婦、コピーライター) キルスティン・ダンスト
クレア(ジャスティンの姉) シャルロット・ゲンズプール
ジョン(企業家、クレアの夫) キーファー・サザーランド
レオ(クレアとジョンの息子)キャメロン・スパー
父(ジャスティンとクレアの父、妻とは離婚)ジョン・ハート
母(ジャスティンとクレアの母、夫とは離婚)シャーロット・ランブリング
マイケル(新郎、ジャスティンの新郎)アレクサンダー・スカルスガルド
本作品は鬱病のトリアー監督による『アンチクライスト』『ニンフォマニアック』と並び鬱三部作としても知られている。
あらすじ
ジャスティンとマイケルの結婚パーティーがクレアとその夫ジョンの屋敷で開かれる。
ジャスティンは幸せそうに振る舞うが、ふと見せる憂鬱さが何かを感じさせる。やがてパーティーを離席して思いのまま行動するジャスティン。
ジョンはジャスティンの行動に憤るが、ジョンもクレアも、ジャスティンとクレアの別れた両親や、他のゲストたちも本当はそれどころではない大きな不安を抱えていた。
ジャスティンの憂鬱
ジャスティンはとうとう、パーティーの招待客の上司と大喧嘩をして会社を辞めてしまい、新郎のマイケルとも式の終わりかけに別れてしまいます。
精神を病んだジャスティンは結局クレアの屋敷に舞い戻ります。
ジャスティンを迎え入れながらもジョンは苛立ちを隠すことができません。
ジョンは一見してジャスティンに苛立っているようで、本当はそうではなかったのです。
周囲人たちの不安の理由は、惑星メランコリア が異常接近しているから。
専門家たちは接近するが心配はいらないと見解しているのですが、実は地球と衝突すると囁かれていました。
その辺りで結婚式に参加していた招待客らは、笑顔で結婚を祝いながらも本当は全然違うことを考えていたことが透けてきます。
ジョンは息子レオと双眼鏡を眺めながら極めて楽観的な態度でいるのですが、実は動揺しているクレアよりもずっとメランコリアを恐れ、密かに避難物資を用意し始めていました。
隠れて狼狽するジョンを見て、皮肉なことにジャスティンは元気になっていきます。
そして「人類は邪悪、滅亡するにふさわしい」とクレアに話すようになります。
メランコリアは恐怖の象徴
映画の冒頭にはワーグナーが流れ、プリューゲルの絵画「雪中の狩人」がパーンと出てきます。
この絵はアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』にも出てくるもので、トリアー監督がタルコフスキーへあてたオマージュであるそうです。
全体を通して美しく静かな映像が続きます。
地球最期とか惑星と衝突というSF的ストーリーになるとパニック的な展開を想像しがちですが、この映画は血を流して大騒ぎといったシーンは全くといっていいほど出てきません。
みんなが地球最期の日を薄々感じながらもそのことを考えないようにしている。
目を逸らして生きようとしているのです。
ジョンは、レオが考えたという惑星メランコリアと地球の距離を調べるためにつくった円状に曲げた針金の測定期を不安がるクレアに与えます。
クレアは不安におののきながら円を惑星に充て、時間を置いてまたメランコリアに針金を合わせる。
一度は遠ざかっているのを確かめると心の底から安堵するシーンが印象的です。
しかしその後、針金の枠から飛び出した惑星メランコリアを確かめて恐怖、絶望するのです。
彼らにとっての絶望は「私たち地球の最期」ではなく、あくまで「私の最期」であり「私の死」という自分自身に固執するところが興味深かった。
家族で寄り添い最期を憂うのではなく、ジョンは自分の中の恐怖に負けて家族を残して自死してしまうし、ジャスティンが父に一緒に泊まってほしいと懇願するも、父は置き手紙を残して去ってしまいます。
それぞれが死を個で捉えようとするなかで、登場人物で最も病んでいるはずのジャスティンが唯一、地球の最期を感じていました。
そのあたりはトリアー監督が鬱治療のカウンセリングで、パニック時の鬱病患者は冷静だといった話を聞いたことが参考になっているとも。
生きるものは必ず死を迎えます。地球が滅亡して生き物すべてが同じ瞬間に死に絶えるとしても、その死は個別の存在なのです。
惑星メランコリアが迫る不安は、各々にとっての日常的な「死」の要因である、病、天災、寿命などの不安を象徴した存在です。
不確かな存在をメランコリアという名前の惑星に置き換えているのでしょう。
鬱病のトリアー監督の鬱三部作もそうですが、同監督による『ダンサーインザダーク』でも驚愕のバットエンドぶりを披露しています。
けれど絶望を描ける人は、実は強い人ではないかと私は考えます。
それでは、また。
のじれいか でした。